茅ヶ崎で暮らして思うこと

海だけではない、素の「茅ヶ崎』を伝えたい。

幼き父の戦争体験

先週の15日の終戦記念日から
すこし日にちがたってしまいましたが
投稿します。



わたしの亡き父は昭和15(1940)年に中国・青島(チンタオ)というところで生まれた。父の両親である祖父母は日本人。戦時中に日本から中国に渡ったらしい。


そのあとほかの街にうつり、妹と弟が生まれる。昭和20(1945)年に終戦を迎え、日本に引き揚げる。引き揚げたときに着いたのは、京都・舞鶴。


父は中国で暮らしているとき、ある中国人宅にいるとき、ロシア兵が突然なかに入ってきて、銃を目の前に突き付けられたという。しかし父は、一緒にいた中国人女性に口を手でふさがれた。


その理由は、ロシア兵は、見た目で中国人か日本人かの区別がつかない。しかし話す言葉は中国語か日本語か分かるということらしい。


しかしロシア兵は、日本人がいないと判断して、出て行った。


もしその女性が幼い父の口をふさがず、うっかり日本語を口に出したら…父はその時に息絶えていただろうし、わたしもこうやって今、この世に存在していないことになる。


ほかにも中国にいるとき、ここでは書けないくらい悲惨な光景を目の当たりにしたと話していた。


そういう体験をしたからか、父は、わたしから見ればそこまで我慢しなくてもいいんじゃないかということにまで、我慢していたような気がする。


生前、父がのこしたことばで、よく覚えているのは「『絶対』ということばは、言わないほうがいいよ」。わたしもそれを聞いて以来、できるだけ「絶対」ということばはつかわないようにしている。


しかしこれだけは、つかわせてほしい。


「戦争は、ぜったいにあってはならない」と。